先月はアイスランドにいたのだな…
九月はなんだかよくわからないまま、映画のシーンが次々と切り替わっていくみたいに、驚くほどの変化球を受けながら過ごした。
十月に入り、シゲルさんはお弁当のいらない生活になるものだと思っていたのに、結局しっかりとお弁当生活は続く。
おかずだけを持って出勤していたこれまでとは違い、久しぶりにきちんと詰めたお弁当箱。これはこれで、やっぱり嬉しいものだ。
昨日、作品以外で撮影していた旅の写真が現像から上がってくる。まだ旅の前半のものだけ。
またゆっくりと旅日記を綴っていく内に、次回のアイスランドがやって来るかもしれない…
そんなことを思ったりしながら、アイスランドへの確かな気持ちは、これまでよりも強くなっていることにハッとする。


アイスランドから戻り、結局一週間近くも寝込んでしまった。
日本に帰って来てからは、すっかり回復していたシゲルさんも、わたしの風邪がうつってしまい、再び体調が悪化。一昨日は39度まで熱が上がってしまう。
爽やかな晴れの日が続いたシルバーウィークも、計画していた予定は全てなくなって、殆どをベッドの上で過ごした。
時折、寝室では「苦しい苦しい」という声が、ぜーぜーとこだまする。
こんなふうにふたりして寝込んでしまったのは、いったいいつぶりなのだろう。
「二週間あれだけハードな撮影をしてきたわけだから、これは休みなさいということなのかな」
そんなふうにシゲルさんは言ったけれど、後半はふたりとも完全に休み疲れていた。
互いに完治出来ないまま、またいつもの日常が始まる。
今年も後三ヶ月。


昨日、アイスランドから帰国。
今回は、ただひたすらに制作のために撮影を続けた旅だった。
同行してくれたシゲルさんは、滞在二日目辺りから体調を崩し、回復しないまま帰国。
相変わらずの悪天候には、何度でも心が折れそうになった。
辿り着いた町毎にアイスランドの爆発的な人気の高さを知り、それと同時に観光客増加により起こる深刻な問題も目の当たりにする。
昨年ご縁があって、今回の最終日にお会いしたReykjavík在住の方はこんなふうに言っていた。
「本当のアイスランドのよさは、もうなくなってしまったんじゃないかなぁ」
色々な想いを抱えながら、今回はどんな天候にも負けずにシャッターを切った。シゲルさんは体調不良にもかかわらず、最後まで懸命に撮影のアシストをしてくれた。
海外へ出てこんなスタイルで撮影をすることは初めてだったけれど、今後も再びこのような旅が出来るだろうか。
とにかく必死で、必死な旅だった。
やっぱり。アイスランドはどこまでもどこまでも…霞みがかったように遠い。


シゲルさんの勤め先のお昼ごはんは少し変わっていて、いつも白ごはんと味噌汁だけが用意される。
なので、おかずだけのお弁当を持って行く。
長い間、シゲルさんのお弁当を作ってきたけれど、これは不思議なもので、ごはんを詰めないお弁当というのはどこか気持ちが楽だ。
そんなお弁当作りとも、もうすぐお別れ。
新しい秋、はじまる。


(わたし達が大好きでたまらない犬、柴犬のどんちゃん。ほんとの名はケンという)
七年ぶりに本腰を入れて作品をつくると決めてから、そちらに気持ちが向かっていて、これまでのように日々の写真を撮ることをしなくなってしまった。
冷蔵庫の中に貯まったままでいる、昨年に撮った何本もの撮影済みフィルム。
学生の頃、フィルムは生ものだから撮影後はすぐに現像に出すようにと教わったけれど、ついつい貯まっていってしまうもの。
10ヶ月程ぶりにフィルムを現像に出し、突然ふわりと息を吹き返した過去の時間。
小さな小さなわたしの世界は、ときどきビックリするくらい美しい。

現在。

森の案内人 三浦豊さんの撮影で、森に入った。
と言っても、そこは京都府立植物園
わたしの中で京都はいつも遠くにあるものだけど、ここだけは何故か近くに感じていられる。
朝まで降り続いていた豪雨は止み、緑は沢山の水分を含んで、きらめきを放つ。
片膝を付いてしゃがんだ足に土のぬかるみを感じて、わたしは息を止めてシャッターを切った。
実に多くの呼吸が彼を包んでいる。
そこは、驚く程にぎやか。

現在。

七月にある母校での展示に向けて、懐かしさの漂わない学校へ通っている(卒業後に、母校は移転)。
けれど、学校というのは不思議で、建物の中には当時と同じ生きた何かが宿っている。
学生時代に同級生だった、現在は母校の教師をしている友人と楽しく作業をする時間。
校舎にはあまり込み上げてくるものはないのに、その時間にふわりとした懐かしさが香る。
高校までは学校が嫌いで仕方がなかった。
でも。本当に、本当に、この学校での学生時代があってよかった。
長い長いトンネルを抜け、空を仰ぐ。
わたしの財産は、ここにある。