一年前。

シベリアの上空は、かなり揺れた。
そのせいか一睡も出来なかったけれど、色々なことを振り返る時間があった。
外国を旅したからといって何か劇的に自分が変わっていくわけではないし、どこにいても結局わたしはわたしだった。
けれど、そんなわたしをドラえもんのような愛情で常に見守ってくれたシゲルさんがいた(見た目は完全に逆なんだけれど…)。
今回の旅では、そのことを多く感じていたように思う。
子供の頃、わたしは『ドラえもん』が苦手だった。
泣き言ばかりを並べるのび太くんと、いつも甘やかしてばかりいるドラえもん…乱暴なジャイアンといけずなスネ夫…いいとこ取りに思えるしずかちゃん。
自分が大人になったのかなっていないのかわからないけれど、藤子・F・不二雄先生がこの『ドラえもん』にどんな想いを込めたのか…それを知ってしまった時、もう苦手だとは思えなくなった。
そして。いつしか自分もドラえもんのようなパートナーが欲しいと思った。また、自分も誰かのドラえもんになりたいと思った(川上弘美さんもエッセイでこんなふうに言っていったと思う)。
シゲルさんにとってわたしはドラえもんのような奥さんではないけれど、ひょっとするとわたしはそんな人を見つけたのかもしれない。
何かあると喧嘩ばかりして、わたしはすぐに泣き、一見ぐだぐだの夫婦のように見えるのだけれど…。
あたたかで刺激的だったオランダと、厳しくも美し過ぎたアイスランド
思い返せば、どうしてもっとこんなふうに出来なかったんだろう…とか、どうしてもっと様々な場面でシャッターを切ることをしなかったのだろう…などと思うけれど、それは人生においての次の課題のためなのかもしれない。
かつて。わたしが見つけてしまった父のラブレターには、こう書かれたあった。
「親愛なる我が妻、私の人生への協力をありがとう。
 深く感謝しています。
 互いに強く結束して、運命を切り開きましょう」
旅先の船の中から、母へ宛てて書かれたものだった。
父はお相撲さんのように大きな身体をして、短い人生を豪快に生きた。
これから。わたしはどのように生きて、どのように死んでいくのだろう。
シゲルさんとは、ずっと一緒だろうか。
静かだった機内にシートベルト着用のサインが鳴り響き、横に座る親子の父親は幼い娘の体をしっかりと抱きしめる。
機体は激しく揺れる。
ゆっくりと目を瞑りながら、わたしはこれまでに感じたことのない強い想いを抱えていた。
運命を切り開く。