昨年。

国立国際美術館アンドレアス・グルスキー展。
2005年。東京国立近代美術館で観た『ドイツ写真の現在−かわりゆく「現実」と向かいあうために』は、これまでに観て来た展覧会の中でも格段に素晴らしかった。
学生の頃に舐めるようにして何度も何度も写真集を捲ったグルスキーの作品を、実際に目の当たりにすることが出来て身震いが起こるくらいに大興奮。もう泣いちゃうくらいの感動だった。
それから九年。
今回観ることの出来たグルスキーの近作は、よりコンセプチュアルなものになっていて、プリントは更に大型化され、それはとても見応えのあるものだったように思う。
でも。なぜだかはわからないのだけれど、昔に感じていたような気持ちは湧き上がらず、わたしは会場の中でどこか置いてきぼりにでもあったような気がしていた。
過去がぷつりと音を立てて途切れてしまったような…そんな感覚をぼんやりと抱く。
家に帰り着き、展覧会の図録をパラパラと捲りながら、過ぎていった時間を思った。
2005年の日記。
「家にいる午後。
フジファブリックを聴く。
カーテンを全開にして部屋の中に太陽の熱をため込む。
日記をサボった日を思い出しながら書く。
ボールペンから出来た光のプリズムに心をときめかす。
日記を書くのに飽きて寝転がる。
おやつを食べる。
明治屋のカラーマシュマロのパッケージを眺める。
好きな小説の好きな箇所を声に出して読む。
机の上を綺麗に片付ける。
以前の日記を読み返す。
太陽の角度を確認する。
歌詞カードを見ながら忠実に歌う(いつもは適当)。
足先が冷えてきて靴下を履く。
キシリトールのガムを3粒噛む。
明日の予定をメモ帳に書き出してみる。
次の展示会の事を考える。
ベランダからミッキー(黒柴)を探す。
ミッキーに相手をしてもらえず、ベランダから見える家の屋根の中で一番好きな色の屋根を探す。
地図帳を旅する。
郵便受けを見に行く。
ハンドソープで手を丁寧に洗ってにおいを嗅ぐ。
眺めているだけで幸せになる本を眺める。
洗濯物をたたんでたんすにしまう。
音楽を消して外の音に耳をすます。
恋人と次に会う時の事を想像する。
その時に言いたい言葉を考える(けど、きっと言えない)。
早く会いたくなる。」