数日前から、トイレの調子は悪かった。
その日の朝、遂に便座の高さにまで到達しそうな水位に、わたしは慌てふためきながらトイレから縁側を駆けて、シゲルさんに助けを求めに行った。
どこまでも暑い朝だ。
土曜日で静まり返った役所の扉を開けると、昼間でも光の入らない警備室を覗いた。
「なにか?」と強面の人が姿を見せ、わたしたちは控えめに婚姻届を差し出す。
用紙は無言のまま事務的なクリアファイルに差し込まれ、「また受理の連絡が入りますんで」と無愛想に伝えられる。
わたし達は入籍を終えた。
「なんなん今の…」と心折れるわたしに、シゲルさんは「いや、あの人は警備員さんやから」とか、いつものようにもっともなことを言う。
日陰はどこにもなくて、ただひたすらに暑い。役所って、なんで駅から離れてるんだろう…。
「さあ、ミナコ。ラバーカップ(トイレのスッポン)を探しに行くよ」。
シゲルさんの背中はぐんぐん日照りの中を進んで行く。
ああ…なんて日だ。
それから、わたし達はただひたすらにラバーカップ(トイレのスッポン)を探し求め、へとへとになって帰宅する。


シゲルさんは出会った頃から、もう自分がどう生きていくかを決めていた。
そして。それを貫くための必死な努力や苦労を、この五年間ちょっと嫌になったりしながらも見続けてきた。
周りに流されない芯の強さと体力をも上回る精神力。
彼と結婚するということは、もちろんふたりで生きていくということなのだが、それ以上に、そんな彼についていくことだと思った。
そうして、愛の中でだけ生きられる短さと尊さに、わたしはこの命を燃やしていく。


「ねぎ、いるやろ?ちょっと買ってくるわ」
晩ごはんの支度を始めたわたしに、シゲルさんはそう言って出かけていた。
ねぎは、まだ充分にあるのだけれど…。
そして、帰宅したシゲルさんはホールのケーキとシャンパンを提げている。
その行動パターンは、なんとなくこの五年で知っている。それでも、嬉しかった。
ケーキには「これからもよろしく」とチョコレートで書かれたプレートがのっていて、白いクリームの上にはきらきらとしたフルーツが盛られていた。
なんだかよくわからないが一本だけロウソクに火を灯す。
ここはいったいどこなのだろう。たまに感じたりする。
まあシゲルさんと一緒ならばどこでもいいかと思いながら、ロウソクの火を吹き消した。
さみしい。
けれど、さみしくはない。


シゲルさんは夫になった。