ファインダーを覗くと涙で視界がぼやけて、みるみるピントを合わせることが出来なくなる。
嗚咽を吐きながら泣いて、それでも写真を撮ることをやめなかった。
そんな父が死にゆく中で撮影した写真を発表したことで、思ってもいなかった伝わり方をしたことがある。
その夜。「伝わらなかった」ことに、母とふたりで夜通し泣いた。
そして。それと同時に、写真を撮るということと、発表することの意味や重みを知る。
写真が残るということ。
自分に出来ること。出来ないこと。
今、自分がするべきこと。
父の墓を磨く。
わたしの手と身体。こころ。
遺されたものが、今を生きていくということ。
まなざしが心に振れる。わたしにはそれだけではないのかもしれない。でも、わからない。
写真が重要過ぎて、いつも振り回されて、それでも大切で、必要で、好きで好きで仕方がないのに、わたしは写真が大嫌いだ。
空はいつも泣きたいくらいに青空。