CSをつけると、映画「ワンダフルライフ」(98年・是枝裕和)。
途中から、思い出し思い出し、観る。
前回観た時にはこんなにも泣いただろうかと思うくらい、ぽろぽろと涙が出ていた。はじめてこの映画を観た時から長い年月が経って、自分の中の何かがいろいろと弱くなっているのだろうか。
はじめて観た時の記憶を思い出してみたくて、昔つけていた映画の感想帳をめくってみる。
「聞いた事も見た事もない世界なのに、知っているような行った事があるような、そんな場所を見ているようだった。どこかフィリベールのドキュメンタリー作品を思い出させる。記憶と記録が違っていて、本当に良かった。わたし達は選びとった記憶で、過去をもつくってしまえるのだなぁと思った」
なんと言うか、今ならこんな感想は出ないだろうなと、驚いた。
これを書いた十九か二十歳の頃、とにかくいろんな事に一生懸命だった気がする。
なんだかそれが映画の感想にまで表れていて、おかしいなぁと思った。
つい先日「きょうのできごと」(03年・行定勲)を観て、手帳に書いた感想は
「大倉さんのおでん、泣けるわ〜」
だったのに。
そう言えば、昔は映画のチラシ魔でもあった。
観もしない映画のチラシを、映画館に行く度にいろいろともらって帰った。
というような内容が、最近読んだ小説の中にも出てきた。
それは物語りの中の彼が、昔少しだけ付き合った女性のそういった行動をふと思い出すというような内容だったのだけれど、それを読んで微妙な心持ちになりながらも、この作家のこういうところが好きだなぁ…と、しみじみ感じた。
さて。映画を好きになった十七くらいの頃から、熱はいっこうに冷めない。好みもあまり変わらない。
ただ、新しく好きな映画と出会う度、地図帳のページがどんどん増えていくような思いになる。
そして、今日の「ワンダフルライフ」でも思ったように、一人ひとりがこの世界の主役なのだなぁと、そう思う。