シゲルさんの東京展の制作もいよいよ佳境。
夜中三時頃まで付き合って起きて、わたしは「ああだこうだ」とアトリエで制作しているシゲルさんに、シゲルさんの絵に対する想いを伝えます。
制作に集中しながらも、「なるほどね」などと柔軟にわたしの声に耳を傾けてくれるシゲルさん。
この春の深い頃、わたしがお世話になっているイラストレーターの方にシゲルさんの展覧会の案内状を見せた時、そこに使われていた絵に「どうしてふたりが惹かれ合うのかがわかった」と言われた事があります。
そういえば、初めて大阪のギャラリーでシゲルさんの絵を観た日、シゲルさんがまだ二十代で、わたしが24か25の頃、自分がこの風景の前に立ちたいと、ここでシャッターを切りたいと、そんなふうに思わせてくれました。
次回の東京展は『interlude』というタイトルですが、わたしはシゲルさんの今回の作品を好き勝手に「最後に見る風景」と呼んでいます。
わたしが次回もし作品をつくり始めるのだとしたら、「最後に見る風景」のような…もう戻れない…風景の前ではたった一人であるという事の…そういった写真を撮ってみたいからです。
スクヮーヴァティーのような…けれども、もう本当に最後の最後で。…なんだかイジマカオルのようですが。。。
今回のシゲルさんの作品は、そんなわたしの想いを静かに刺激してくれました。
この眠気の気持ちよさがなんなのか、わたしがこうして一緒に起きていられるエネルギーはなんなのか…わからないままに、わたしはシゲルさんが絵を描く事で満たされているという事だけがはっきりとしていたのでした。