陽が暮れていくのを見届けると、シゲルさんのおうちではお母さんのあたたかなごはんの湯気が香っていました(写真は別のカメラで撮っていて、まだ現像に出せていません)。
この旅で嬉しかった事は幾つもあるのだけれど、毎日お母さんのごはんをいただく事が出来たというのは、その中で大きくわたしの胸と舌に残っています。
そして、一日の終わりに花火。
夏はまだまだ続くはずなのに、最後の火花が落ちるとなんだか尊いものが込み上げる。
この暗く分厚い雲の上では、今頃フライング気味なペルセウス座流星群でも流れているのだろうか。


↑↑↑

ここは波が高く遊泳は禁止なので、泳ぐのはまた明日です。
それでも待ちきれずに波とじゃれ合う二人。途中、犬を連れた監視のおじいちゃんに、拡声器で何度か注意を受けました。
こんなにも遠くへやって来たのに何もしない、特別な事は何も起こらない。それは、なんと贅沢な事だろう。
だんだんと曇っていった空も、微かにうすむらさき色になっていくのが、わたしにはちゃんと綺麗だった。


↑↑↑

そうして辿り着いたのは、いつかの浜
冬耳くんの写真が上手いもんで、わたしは結構落ち込むわけです。


↑↑↑

一日の最終目的地が海だというのは、なんとも素敵なものだなぁ…と思いました。
左手には、近いくせして、ずっとずっと遠い海。
ときおり窓を開けてみては、潮のにおいと、からだにまとわりつく真夏の湿度。


↑↑↑

青空はもうそれだけで充分なものがあって、いつもいつでも青空に満足してしまう。
今日のように限りなく穏やかな日が、三人の人生に一つでも多くある事を強く願った。


↑↑↑

それから車を走らせて、青い青いドライブが続く。
二年前の夏にシゲルさんとふたりでハイキングへ出かけた岬の入口までやって来て、全く同じ場所で今度は三人での記念写真を撮ってみる。
出来上がった写真を並べてみると、それはとても不思議で、なんだか妙に嬉しいものがありました。
家族が増えるような喜び…そう言ったら少し違うのだろうか…。


↑↑↑

フィルムの写真には、いつだって予想以上のものが写る。


↑↑↑

シゲルさんが通っていた小学校は、木造建築の白い校舎で瓦屋根。
校庭からは青い海が見えて、それはなんだか映画の舞台みたいだなって…
此処で育って養ってきたものは確かなシゲルさんの財産なのだと、いつも感じずにはいられなくなる。


↑↑↑

シゲルさんのご実家に到着。
久しぶりに帰省したシゲルさんはずっと嬉しそうな表情をしていて、はじめて此処を訪れた冬耳くんのわくわくとした笑顔は本当に綺麗だった。
わたしといえば、なんだかずっとだらしなくにやにやしてたような…。


↑↑↑

山道を越えて海が見えると、シゲルさんのご実家まではあともう少し
(今回の夏の旅はシゲルさんのご実家にお世話になりました)。
隣町には小さな灯台、かわいい提灯、潮のにおい。
先程までの車酔いもすっかり遠のいて、もうそこには夏に感じるあのきらきらとした思いがありました。


↑↑↑

夏空の下、車は更に田舎道を駆け抜けて、わたし達をどこでもないどこかへ連れて行ってくれるような心持ちにさせる。
けれども…実際は長い山道を越え、わたしはややグロッキー。
わたしに助手席を譲ってくれた冬耳くんもグロッキー(冬耳くん、ごめんなさい)。
一人快調にテンションを上げ続けた、運転席のシゲルさん。


↑↑↑

冬耳くんは自身のブログでこの時のシゲルさんを「ハンター」だと言っていましたが、彼こそがハンターではないでしょうか(なんかヤバい感じの)。


↑↑↑

山間の道の駅で休憩をとると、すぐそばを流れていた川の水がとても澄んでいた事に驚きました。
わたしもですが、お兄さん達のテンションがぐんぐんと上がっていくのが伝わってきます。


↑↑↑

三人揃えば必ず雨に降られる。
そんなわたし達の旅の初日は嘘みたいな快晴。
これはいけるんじゃないかと心躍らせていたら、この日以外はやっぱり雨降り。


(写真が沢山なので、同じ日付で少しずつ載せていきます)