映画『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009年、アメリカ、監督:ピート・ドクター、ボブ・ピーターソン)。
登場人物は、愛想のないじいさん、太っちょな子供と、わりと気の利く犬。
おとぼけアニメだとばかり思っていたら、半分以上は泣いていた。
ふたりがひとりになってしまった時、頭を過ったのは自身の未来ではなく、かつて体験したリアルな過去であったからだ。
アニメのなんだかよくわからんテンションと、お決まりのわくわく感で物語りは展開していくのに、この作品にはぶれない信念が貫かれている。
ひとりになることは、こわい。
それでも、そこから体験することの出来る時間、出会える人と風景…
シゲルさんがアメリカで暮らしていた頃に、ひとりでテキサスへ旅をした事がありました。
その時の手紙にはこう記されています。


本当に広い広い世界に小さな人。
人の小ささに気付く事はとても幸せなように思います。
僕はやっぱり神を偶像化して思い描く事は出来ないけど、この人の小ささと世界の大きさの関係は、神という風景のように思います。
自分の存在が小さくなっていく事って、寂しかったり、悲しかったり、マイナスな感じだと思ってたけど、こうやって色々な風景に出会い、僕はどんどん小さくなっていくけど、僕はどんどん幸せになっている気がします。
孤独とかではなく、孤独になる事でもなく、時を受け入れるという事。
僕はやっぱりミナコさんと色んな時を受け入れていきたいです。


なんだか上手くは言えませんが、この映画はそんな感じです。