朝から家を出て、シゲルさんとふたりで神戸まで出かけた。
忠田愛さんの個展『-うつしおみ-』を観るために、元町にあるギャラリー歩歩琳堂へ。
「うつしおみ」って、なんだろう。個展のご案内をいただいた時に、フライヤーを手にしながら感じたことでした。
調べてみると「生きている現実の人間」「この世の人の姿」などという言葉が並んでいて、 何故だかわたしはもっとわからない心持ちになってしまったのを覚えています。
その気持ちが忠田さんの作品を拝見すると、何故かもっと不思議なのだけれど、その「うつしおみ」という言葉と作品とがしっかりと寄り添っていて、わたしは強く納得をしてしまう。
石を使用されていることもあるからか、平面の作品であっても、まるで立体の作品を観ているように思えてくる。
ひとつひとつを大切に削り出してみると、そこから現れた…というような、出会った…というような、強い存在と体験。
忠田愛さんは、もう出会うことがない人も、もう見ることのない風景も、一瞬一瞬のそこにある感動や美しさや悲しみさえも、まるでまだそこで止まることなくゆっくりと呼吸し続けているように…生き続けているように…そんなふうに作品にする方なのだと感じました。
実際につくられていた立体作品も版画の作品もとても素敵で、息をのむように、まるで手のひらの中のホタルをそっとのぞく時のように、そんな想いで作品と向き合えた時間。
また、はじめてお会いすることの出来た忠田さんも、華奢なお姿でありながら、静かな強さに溢れた優しい方でした。
じんわりとした、あたたかな気持ちでギャラリーを後にして、そこから少し山の手に上り、同じく神戸で展覧中の伊吹拓さんの個展『絵の声、色の夢』を観るためにGALLERY & SPACE DELLA-PACEまで。
伊吹さんの作品を拝見していると、そこに描かれているものが具体的な像ではないにもかかわらず、広角であったり近接であったりと、それぞれの作品のフォーカスがきちんと自分の中でしっくりと合ってくる感じがします。
画面の中にはいつでも魔法がかかったような不思議な力の流れがあって、それは伊吹さん自身を動かしている細胞や血の流れのようにも感じられ、作品を観ているわたし達はその流れに身を任してしまうというか…大きな自然の出来事に抱かれるというか…そんな感覚を覚えてしまう。
そして。いつ、いつでも、あっという間に白うさぎを追って穴に落ちてしまったアリスのような心持ちになってしまいます。
けれど、画面の中にあるものは決して不条理や非現実的なものではなくて、心地のよい冒険心とまだ見たことのない世界を味わける快感。
伊吹さんをはじめ、ギャラリーには奥さまと息子さんもおられ、なんだかこれも一つの不思議な体験として、わたし達の中には見えないかたちとなって残っていくのだ…と。
ギャラリーを出ると、もう強い西日が照りつけていて、わたし達はそれからのんびりと神戸の街を歩き、「ミナコ、おやつ買い過ぎ」などとシゲルさんに言われたりする。
わたし達は、わたし達ふたりで様々な人達と出会っていけることを、嬉しく、まだまだもじもじと、ゆっくりと大切にしていく。