父が死に、焼かれて、骨になった時、大きな身体をしていた父がこんなにも小さく粉々なものになってしまったことに、わたしは漠然とどうしようもない気持ちでいた。
長い箸で骨を拾い上げていると、斎場の人は喉仏がどうのこうのと言ってくるが、全く耳には入ってこない。
外は三月だというのに猛吹雪で、一面白の中だった。
どうしてあの時、ポケットに骨を忍ばせてこなかったのだろう…
森太三さんの個展へやって来ると、ふとそんなことを想い出した。
『海を眺める』(at ギャラリー揺)と題されたこの展覧会は、和室と洋室の二間続きの空間の床に、小さく不揃いな無数の石膏が並べられていて、それは海辺の石であったり、海面の揺らぎを思わせるのに、何故だかわたしは父を強く想い出していたのだった。
決して哀しくはなくて、ただ遠い、銀河を思うような心持ち。
森さんの個展を拝見していると、やっぱりいつも自分がどこにやって来たのかを忘れてしまう。
それは旅とも少し違っていて、不思議な体験的活動として記憶に宿る。
許可をいただいて写真を撮ったのだけれど、わたしの手持ち50mmじゃあ、何も捉えきれなかった(…ああ、なんてかっこ悪い言い訳)。