4時前に起床。バタバタと身支度を済ませて、5時前に宿をチェックアウトする。
このエアポートホテルには朝食のサービスが付いていたのだけれど、食堂がオープンするのは5時からだったので、ロビーで湯気のにおいを感じながら「お腹減った…」と唇を噛み締め(昨晩、きちんと食事していない)、まだ真っ暗な中を空港へと歩いて向かった。
空港までやって来ると(徒歩5分)、セルフチェックインを済ませ、荷物を預け入れ、いそいそとセキュリティチェックに進んだ。
ケプラヴィーク国際空港は小さな空港なのでセキュリティレーンも少なく、「こんなところでフィルムのハンドチェックをお願いせなあかんのか…」と思ったら、異様にそわそわとしてくる(ハンドチェックをお願いしてくれるのはシゲルさんなんやけれども…)。
落ち着けないまま自分の番が回ってくると、上着も靴も脱いで、ベルトも腕時計も外すようにと言われた。ここまで脱いだり外したりしたのは、今回の旅では初めてのこと。
けれど。フィルムのハンドチェックは、日本を出国する時よりもあっさりと終了し、シゲルさんとわたしは拍子抜けをする。
フライトの時刻は、7時10分。
セルフチェックインとセキュリティチェックを終えても、まだ時間はたっぷりとあって、ふたりでぽかんとしてしまった。
おまけに。「日曜日の5時だし、空港の窓口は開いていないかもしれない…」と思い、昨日の内に手続きを済ませておいたタックスフリーの窓口は既に営業を始めており、係のご夫人は暇そうにふてくされているではないか。。。
「これ。朝ごはん、少しは食べられたかもしれないね…」
シゲルさんは空きっ腹にビールを流し込んで、空港内のカフェで相変わらずの舟を漕いだ。
わたしは持て余した時間を、手帳に日記を書きながら過ごす。
飛行機に乗り込む直前、開かれた東の空から太陽が昇るのが見えた。アイスランドで迎えた、最後の朝だ。
晴れている。こんなにも、晴れ渡っている。泣



空はあんなにも晴れ渡っていたのに、機体が離陸してしまうと、眼下はあっさり一面の雲で覆われる。アイスランドの大地が、するりとわたしの身体から離れた。
なんだか…ずっと片想いのような旅だった。そう感じていた。
けれど、それは違っていた(…ように思う)。
今回、アイスランドへは撮影のためにやって来た。
そんな旅の始まりは見事な猛吹雪に手厚く歓迎され、来る日も来る日も極北の悪天候を目の当たりにし、撮影は全く思うように進まなかったのだけれど、それでも手元に残った写真には確かなレスポンスが見られた。
七年間、わたしの写真は止まっていたわけではなく、ここへ向けてゆっくりと呼吸を整えていたことがわかったからだった。
その写真はまだ限られた人達にしか見せられていないし、いつそれがひとつの形となって発表出来るかもわからない。
それでも。わたしはアイスランドの写真を撮り続ける。そういう強い想いが出来た。
アイスランドでなくてもいいのかもしれない、けど、今の自分自身にとってアイスランドであることが大切だった。
近い内に、また必ず。



アムステルダムは、見渡す限り春だった。
この季節の独特な霞んだ青色は、どこも同じものなのだろうか。
三時間前まで極北の地にいたわたし達は、どこか浦島太郎のようになっていた。



いつの間にか厚手の服を脱ぎ捨てて外を行き交う人達は、わたし達に突然やって来た春に一つも驚きを見せていない。
肩に食い込んだザックとカメラバッグを気にかけ、わたし達は不器用にスーツケースを引きずる。
アウターどころか、パーカーもインナーも、何もかもが暑くて、アイスランドでの切れるような寒さや風の強さは瞬く間に思い出になっていく。
時刻は、13時過ぎ。
宿までのバスに揺られ、どこまでも真っすぐなオランダの風景に、わたし達は安心を寄せていた。
この旅の初日にも利用した空港に程近い安宿に荷を下ろして、フロントの横にある自動販売機で不味いコーヒーを買う。それを持ってテラスに出たシゲルさんは、何時間振りかの煙草をじっくりと味わっている。
あんなにも過酷な運転をもうしなくてもよいという安堵感が、どこかその姿から滲み出ているようだった。
テラスから見えるスキポール空港には、幾つもの旅客機が往来を繰り返す。
今日は身体を休ませるため、街へは出ずに、また空港行きのバスに乗り込んだ。



ホテルと空港は、専用のシャトルバスで約10分。
わりとご機嫌なおじさんが、これでもかってくらいにハイウェイを飛ばしていく。
シゲルさんの運転はいつでも丁寧だから、それに慣れていると、こうした時に度肝を抜かれる。どうやら、わたしは早い乗り物が苦手みたい。
すっかりと身軽になった身体で、車内の手すりを強く握った。
再び空港に着くと、運転手はまたご機嫌なおじさんへと戻り、今度はホテルに向かう旅行客を笑顔で車内に招き入れる。
この10分を、おじさんは一日に何回繰り返しているんだろう。



空港に戻ったところで、謎の街頭インタビューに声をかけられ、へらへらしているわたしはどんどんと質問をされる。
わたしが一向に質問に答えないことに、はたと気がついた美女は視線の向きを変えて、今度はシゲルさんに質問を投げかけた。
普段からわたし達はよく道を訊かれたり、写真をお願いされたりするのだけれど、声のかけやすさは世界共通なんやろうか…。
空港の窓からはもう西日が差していて、今日という一日が過ぎていく早さに、ぼんやりと悲しさを覚えた。
そして。自分達のお腹が、もっと悲しみを抱えていることにハッとする。
朝の4時頃にパンを一切れ口にしただけのわたし達は、見事にお腹の中まで身軽にさせていて、やっとこさ在り付けた食事を無心に頬張った。
時刻は、16時を過ぎている。
お腹がすっかり元通りの出っぱりへと戻り、背筋にもピリリッと力が入ってきたようだった。



食事の後、空港の中をぐるりと見て廻る。
土産物を買ったり、スーパーマーケットで買い物をしたり、美味しいコーヒーを飲んだり。
そんな中、ある店で店員から理不尽な対応を受けて、わたし達はその態度に驚愕。。。
日本とは捉え方が違うから、海外へ行くと色々と驚いてしまうこともあるけれど、相手の一方的な苛立ちで接客中に舌打ちされたのは初めてのことだった(ワタシタチハ、ナニモワルクナイデスヨ…)。
そわそわとしながら、またご機嫌なおじさんが運転するバスで宿へと戻る。おじさんの笑顔に、少しほっとする。
けれど、このそわそわは序の口だった。
今夜、あんなことが起こってしまうだなんて…