朝が来た。遂に、来てしまった。。。
なんだかどうしようもなくぽかんとしていて、最後の一日を楽しもうという気分にはなれない(根暗…)。
滞在中なかなか晴れてくれなかった空は、憎いくらいに青空。。。
宿をチェックアウトして、車に荷物を詰め込んでから、今日も朝一番にハットルグリムス教会を訪れた。
教会ではちょうどパイプオルガンの演奏が行なわれているところで、外観とは違った飾り気のない慎ましい室内は澄み渡った響きに包まれている。
受付はまだ開いている時間ではなく、展望台に上ることは出来なかったのだけれど、それでも教会には大勢の観光客が行き来をしていた。
そんな中、シゲルさんが「すっごく綺麗な人がいる」と言ったので、わたしもつられて視線を向ける。
臙脂色のコートをまとった九頭身はありそうなその女性は、コートやニット帽の隙間から僅かに覗く白い肌が輝いているんじゃないかと思うくらいに美しい。
わたしは興奮しながら「ほんまやほんまや…」と言い、発言しておきながらとっととどこかへ行ってしまったシゲルさんとは逆に、彼女から目が離せなくなってしまった。
彼女はゆっくりと室内を歩いた後、参列席に腰かけて、そっと頬を伝った涙を拭っていた。その瞬間に意味がわからないけれど、わたしももらい泣きをし、戻って来たシゲルさんを驚かす。
パイプオルガンの演奏は終わって、室内には忽ち足音とシャッター音が響き渡っていた。



旅の前に、シゲルさんは言っていた。
アイスランドへ行ったら、小さな教会でふたりだけの結婚式を挙げよう」
その計画は実行されることはなかったのだけれど、旅をしていたら、それはもうどこか充分な気がしていた。
オランダでデルフトの教会を訪れ、お父さんの根源に触れられたような気がして、どっと泣いたわたしの頭に触れた優しい手のひら。
はじめて体験したホワイトアウトに必死にハンドルを握ってくれた、あの真っすぐなまなざし。
オーロラを見上げて、あんなにも無邪気に喜んでいたやわらかな心。
いつもどこかわたしに関心がなくて、口を聞いてくれたと思ったら指摘か注意が多くて、物凄く器用でこんなにも不器用な人は見たことがないけれど…
けど、お父さん。やっぱり、わたしの旦那さんは、いい人です。
教会に立っていると、いつも心は静かに開かれる感じがする。
信じる神様が誰だかはわからないのに…わたしは勝手なものです。



教会を出ると、まだ街はしんとしていた。
土曜日。この街の目覚めは、どうやら遅いらしい。
外を歩いているのは早起きな観光客の姿ばかりで、閉ざされた扉を前にみんなウィンドウ・ショッピングのようになっていた。
わたし達はもう大きな買い物をする予定がなかったので、街のインフォメーションまで行ってタックスフリーの手続きをとっておくことに。
けれど、幾つかのインフォメーションを廻った結果、土曜日はどこもタックスフリーの窓口は開いていないみたいだった。たらい回しのようになって(大袈裟だけど…)、最後に大きなインフォメーションまで行くと、唯一、土曜日にも手続きが出来る場所を教えてもらう。それは、郊外にある大型ショッピングモール“Kringlan”(クリングラン)とのこと。
クリングランへはレンタカーを返す前に行くことにして、午前中はレイキャヴィークダウンタウンで過ごすことに。



午前10時過ぎ。オールドハーバーをうろうろとしてから(実際には迷っていただけ…)、土・日・祝だけ開催されるコーラポルティッドフリーマーケットへ。
まだロピー・セーターを諦めきれないわたし達は、掘り出し物やいい感じの古着なんかがあるんじゃないかな…という、淡い期待感を持って会場へと入った。
けれど…なんだか、すぐに違和感。。。埃っぽいし、空気も滞っているし、薄暗いし…
その凄みのあるぞんざいさに(失礼…)、あっという間に心が折れて、会場を一周して早々と退却。。。
(なんだか気持ちが暗くなってしまい、一枚も写真が撮れず。ロピー・セーターもアラフォスより高かったよ…?いや、掘り出し物もきっとあるとは思うのだけれど…)
フリマの会場を出てすぐの所には、アイスランドを訪れる観光客ならば必ずと言っていいくらいチェックしているであろう“Bæjarins Beztu Pylsur”(バイヤリン・ベスタ・ピルスル)というホットドッグスタンドがある(「宇宙一美味しいホットドッグ」って、クリントンさんが来た時に言ったらしい)。




お店はスタンド式なのだけれど、店舗の周りには幾つかのテーブルがあって、みんなそこで食べたり、立ったまま食べたり…
本当に人気店のようで、観光客だけではなくて地元の人達も次々とやって来る。
テーブルには、なんとなく一度は置きたくなってしまうホットドッグ置き場。
バイヤリン・ベスタ・ピルスルのホットドッグは、パンもふっくら!ソーセージもジューシー!!そして…何度食べてもベリーうまい、このソース!!!(次回は買って帰ろう!)
アイスランドにやって来てホットドッグはもう5つ目くらいなのだけれど(この頻度、日本ならば自己嫌悪…)、ここもやっぱり美味しかった!
食べ終わったそばから、「もう一個食べたいな…」。



本屋や土産物屋を覗き(欲しかったブランドの板チョコは、驚きの約1300円!)、ゆっくりとダウンタウンを歩いて、宿の前に停めた車まで戻る。
最後にもう一度ハットルグリムス教会へ行ってみると、今日はとてもいいお天気なので、展望台へと上るエレベーターの前には長い列が出来ていた。展望台への楽しみも、また次回にとっておこう。
車に乗り込んで、クリングランへと向かう。
「さようなら、レイキャヴィーク
声に出して言ってから、もう一度心でもとなえてみた。
空は、本当にどこまでも晴れ渡っている。
ハイウェイを進んで、クリングランへは10分程で着いた。
一階にあるインフォメーションで、証明書とパスポートとカードを渡して手続きをしてもらう。免税分はアイスランド・クローナで返金してもらったので、そのお金でまたクリングランで買い物をすることに。
土曜日だからか館内はとてもにぎわっていて、観光客らしき人の姿もあるけれど、その殆どは地元の家族連れのようだった。
こうした大型のショッピングモールは、どこの国も同じなのかもしれないなぁ…。
わたしは日本の大型ショッピングモールって結構好きなのだけれど、既にレイキャヴィークロスに陥っていて、どこか心ここに在らず…。(けれど、しっかりと買い物もする)



午後。
ケプラヴィーク国際空港へと車を走らせる。
明日は朝7時のフライトだから、空港でレンタカーを返却して、今夜は空港のホテルに泊まることにしていた。
紙芝居のように切り替わってしまった風景を眺めながら、むずむずとざわついた心の落ち着き場所を探す。
これまで色々な場所を旅して(そんなに多く旅したわけではないけれど…)、こんなにもここから離れたくはないと思ったことはあるのかな(たぶん、殆どいつも)。
旅はそれなりに疲れるし、航空券や宿泊費…普段では信じられないくらいのお金が出て行ってしまうのに、どうして旅の終わりには、もう次の旅のことを考えているんだろう。
どこまでも真っすぐに続くハイウェイで、心の中には旅のハイライトが駆け巡った。
「ヨンシー…」
空は、切ないくらいにドラマチック(…が、写真には何も写らず)。



ケプラヴィーク国際空港の周辺には、本当になにもない。
平原の中に、飛行機と風の音が混じり合っているだけ。
空港の外へ一歩と出れば、いきなり大都会が広がるスキポール空港からやって来たので、初めはそのギャップにも心細くなったものだった。
空港の入口でシゲルさんが煙草を吸っている間、わたしはアイスランドへ降り立ったばかりの旅人達を眺める。
わたし達がこの国から離れようとしている今、最後の嵐は過ぎ、渡り鳥達は飛来して、アイスランドには春がやって来た。
雨が降る日もあるだろうけれど、彼らは春のアイスランドを満喫することになるのだろうな。
それももちろん魅力的なのだけれど、けど、わたしは今回の旅で思った。
極北の魅力って、冬にこそあるのではないだろうか。
この国の夏も目にしてみたいけれど、それは金銭的に無理なので(シーズンに入ると、アイスランド国内のホテルは殆どが2〜3倍の価格となる)、春か秋もいいのかもしれないけれど、けど。やっぱり…また、白い世界を巡りたい。




ホテルにチェックインをして荷物を下ろし、レンタカーを返却してしまうと、もうどこにも行くことは出来なかった。
一番近くにある街(町?村?)も歩いて一時間以上はかかるし、空港とホテルの他に見えるものといえば、夏の出動に備える膨大な数のレンタカーだけ。
空港のホテルだから、これまでに利用したどの宿よりも立派だったのだけれど(ベッド、ふっかふか!室内は美しいくらいのバリアフリー!)、わたしはなんとなく部屋にいることが嫌で(貧乏性です…)、本当に小さな空港の中で、時間と気持ちを存分に持て余す。
そういった感情があるのか…ないのか…、シゲルさんはいつものように飄々と過ぎていく時間を受け入れているように見える。
…ちっ。




多分、夕方頃。空は、まだすっきりと晴れ渡っていた。
6月ともなれば、この国には夜がなくなって、オーロラも少しの間だけ眠りの時間に就く。
外はこんなにも寒いのに、もう夕方なのに、こんなにもお天道さまを感じられることが、やっぱり日本に暮らすわたしには不思議だった。
(ところで。あれは茄子だろうか…)



カフェでのお茶を終えると、さすがにもう空港ですることもなくなって、とぼとぼと部屋へ戻った。
シゲルさんは一つしかない座り心地のいいソファをあっさりと独占して、窓辺で読書。わたしは取り敢えずベッドの上でバインバインッと跳ねてみてから、荷造りをすることに。
「使い捨てカイロと未使用のメイク落とし、よかったら使って下さい」
空は、ゆっくりと夕焼け。



太陽がどこかの国へとお出かけしていく頃、シゲルさんの煙草に付き合って外へ出た。
大きな大きな空の下に、頼りないわたし達の影が伸びている。
こんなにもはっきりとした夕焼けは、アイスランドに来てから初めてかもしれない。
冷たい空気を頬に感じながら、その場に立ち尽くしていると、突然の雨に見舞われた。次の瞬間、見事な半円形の虹が現れる。
魔法みたいなそれを見上げながら、意味がわからないまま、わたしはぼろぼろと泣いた。
頬も、上着も、カメラも、どんどんと濡れていく。
悲しいんじゃなくて、感動的だからでもなくて、大好きな人と一緒にいられるからでもなくて…
なんだろうか、この感情は。



いつもは「濡れるから、早く戻ろー」とか言うシゲルさんも、何も言わずに虹を見上げていた。
太陽が沈む。
虹は、ゆっくりと「さようなら」を告げる。
空は、群青色。