小さい頃のお手伝いで、幾つか覚えているものがある。
その内の一つが、もやしの根切りだ。
マッチーが台所に立って晩ごはんの支度をしているのを背中に感じながら、わたしは食卓の椅子に座って黙々ともやしの根を切った。
今は50円くらい出せば根切りもやしはスーパーマーケットで簡単に手に入るから、根付きのものと比べても、あっさりとそちらに手が伸びる。
でも。ものすごく無償に、もやしの根を切りたくなることがある。意味がわからないけれど、それは恋しさか何かが関係しているのだと思う。
シゲルさんが帰宅する3時間ほど前に台所に入り、丁寧にもやしの根を切っていく。
マッチーの定番だった献立を思い出したり、うちの煮物はなんだかいつもやわらか過ぎたな…とか思ったり(おばあちゃんが同居したいたので)、わたしはもうマッチーの作るごはんを食べられないのかな…とか思ったら、どうしようもなく悲しくなって、ひとりで泣いた。
わたしはいつまで料理をするのかな。生きている限り、ずっとかな。
毎日台所に立つようになって、気付かずにいたことをいっぱい知った。マッチーの作るごはんに、どれだけの想いと知恵が込められていたのかも。
与えてもらった沢山のものを、わたしは今こうして愛する人のために料理をすることで一つのかたちにしているのだと思う。
もやし、餃子の皮、さやえんどう…
眺めていると、泣きたくなってくるものがいろいろとある…
夜の台所は、危ない。