何一つためらいなく降り注いでくる太陽の光を受けながら、今日はデルフト(Delft)の街まで向かうことにした。
列車は9時24分に出発。満江先生と奥さまに教えていただいた、オランダ鉄道の一日乗車券を利用する。
(このお得なチケットがなければ、わたし達は破産していたでしょうね。。。…なんて)

いつまでも真っすぐな景色を行く列車に揺られ、時折、車内の様子を伺ってみれば、こちらの国でもスマートフォンを片手にただひたすら俯いている人は数知れず。
それでも眠っている人の姿を見かけることはない。そこが日本の列車とは大きく違うところなのかな。
ただ…シゲルさんときたら、とにかく隙あらば眠り続けていて、いつでもわたしはひとり旅気分になれてしまう。




デルフトの街までは、途中の駅で一度乗り換えをして、一時間半程で着いた。




満江先生と奥さまによれば、なんでもずーーーっと工事をしているのだというデルフト駅。
よくは知らないけれど、新しい駅ビルが出来て、鉄道は地下を走るらしい。
オランダへやって来てから都会に出たのが初めてということもあったけれど、駅を出ると車と自転車と若者の多さ(デルフトには大きな大学がある)に、いきなりそわそわとした気持ちに襲われた。



駅を出て、オランダ王室が眠る新教会(Nieuwe Kerk)を目指す(「新教会」と言っても、1381〜1510年に建築されたもの)。
地図も持たずに来たけれど、高くそびえ立った新教会はすぐに目印となった。
それはまるで太陽の道しるべみたいに、わたし達の不安を一つクリアなものにしてくれる。



オランダ王室が眠る新教会へとやって来たのには、目的があった。
わたしの名前は、かつてのオランダ女王ウィルヘルミナ(Wilhelmina)から名付けられている。
ウィルヘルミナ女王は幼くして父親を亡くし、わずか10歳で女王に即位。
在位58年は(正式には亡くなるまでの72年間。女性では世界一の在位)、オランダ王室では最長。
二つの歴史的な大戦を経て、苦難の時代と人生を、どこまでも気丈に力強く生き抜いた人。
名付けてくれた父も、きっとそんなところが気に入っていたのかもしれない。
その縁の人物を、訪ねてみたいと思ったのだ。




マルクト広場に出ていたにぎやかな市場を抜けて、新教会へ入ると、さっきまでの活気が嘘みたいに世界は変わった。
オランダ王室について多くのことは知らないけれど、この足元に歴代の王室の人々が眠っているのだと思ったら(新教会の地下部分)、今こうしてここを歩いていることすらなんだか申し訳ない心持ちとなってしまう。



地下へと続く入口の前で手を合わし、出会ったこともないウィルヘルミナ女王と父を想った。
それはわたしの心にしか残らない、とても不思議な時間。



話を聞きたくても、もう聞くことは出来ない。会いたいと思っても、もう決して会うことは出来ない。
泣きたいような…どうしたらいいのかわからないような…そんな気持ちになったけれど、涙は出なかった。
ここまで来たんだ、という気持ちの方が大きかったのかもしれない。



新教会の鐘楼には上ることが出来る(教会の見学料とは別料金)。
鐘楼の高さは108.75m。エレベーターはなく、ひたすら376段の螺旋状の階段を上って行く。
わたし達の体力で、この階段の長さはこれといって問題はない。ただ、狭く、暗く、下が見えてしまう踏み板が恐ろしくて、わたしは「嫌やー、怖いー。これまで崩れんかったってことは、今日崩れるかもしらんー」と(実際に、鐘楼の耐久性を考慮して、一度に上れる定員数が決まっている)、ずっとくだらない泣き言をぼやき続けていた。
シゲルさんは笑いながら「大丈夫、大丈夫」と言ってくれていたけれど、右回り、左回りと向きの変わる螺旋階段に気分が悪くなり、いつの間にか相手にしてくれなくなる、、、。



頂上までやって来て、バルコニーへと出る扉を開けると、絶句。
その美しい展望にではなく、バルコニーの吹きっさらし感に足がすくみ、わたしは扉のノブを握りしめたまま一歩も動けなくなってしまった。
これまでにも鐘楼には上ったことがある。バルコニーに立ち、ローマの美しい街並にうっとりとした記憶もある。でも、このバルコニーは違った。。。
バルコニーの幅も狭くて、バルコニーの塀の高さ(?)も腰の位置くらいまでしかなくて、おまけに吹きっさらしの強風…
結局。376段の階段を上ってきて、わたしは一歩もバルコニーへ出ることが出来なかった。
……………。
(写真は扉の場所から撮ったもの)



足がすくみながらもバルコニーへと出て行ったシゲルさんを、「落ちてしもたら、どうしよう…」とか思いながら待ち、下りは一刻も早く鐘楼から脱出するため、行きよりも必死の思いで下る。
マルクト広場へ戻り、地面を踏みしめることの出来る喜びに、途方もない安堵。。。
ああ、、、わたしの旅の三大目的が、今ここに一つ消滅したかもしれん。。。
(1.その土地の美味しいものを食べる 2.見晴らしのよい高台に上る 3.地元の人と会話する)
その後、決して消滅することのない「その土地の美味しいものを食べる」を求めて、マルクト広場に出ていた市場を隅から隅まで練歩くことにする。




お昼ごはんに選んだのは、搾りたてのオレンジジュースと山盛りフライドポテト。
フライドポテトのスタンドや店舗は、オランダの至る所で見かけることが出来る。
日本で食べるものよりも食べ応えが軽く(そう思えるだけかな、、、)、しっかりとしたじゃがいもの味が美味しくて、すっかり夢中になり、この旅でフライドポテトは三、四度と食べた。
この見た目にも、なんだかテンションが上がってしまう。
(このサイズでSだったような…)






市場を見て廻るのは、とにかく楽しい。
それはライブや演劇を見ている感覚に少し似ていて、すぐそこにこの国の生活が垣間見えてくるように思える。
豊かに並んだ商品にだけではなく、人々のやり取りや、そこからうまれる様々な音にさえ鮮度を覚えるのだ。
大柄な男達がスタンドの前で小さくなってサンドイッチを頬張っている姿も心愉しいし、マダム達が今夜の晩ごはんに野菜や鮮魚を熱心に選んでいる姿にも興奮してしまう。
みんなそれぞれに別々の暮らしがあって、みんなそれぞれに様々な場所へと帰って行くのだな。



市場で躍らした心を抱えて、今度は旧教会(Oude Kerk)へ向かうことにする。
新教会のバルコニーからも見えた、この街にあるもう一つの大きな教会だ。
(新教会と旧教会の入場料は、共通チケットになっている)
外観こそは古くて(1050年建)、75mある塔は傾いていることがはっきりとわかるのだけれど、教会の中へ入ってみると、美しくて穏やかな空気と光に包まれる。




新教会に比べると素朴な感じがして、どこかふんわりとしたあたたかみを感じることが出来る。
わたしは十年程前にイタリアを訪れてから、様々な国の教会へ行ってみたいと思うようになった。
信仰心が強いわけではないのだけれど、その様々な建築を見ているのも好きだし、何よりも旅先で鋭くなったままの緊張感を教会の持つ不思議な包容力が解放してくれる。
この教会は、ヨハネス・フェルメールが眠っていることでも有名。



この日もとても麗らかで、上着のいらない暖かな一日。
にぎわいのあるジェラート店で食べた、アフリカ産のリンゴのジャラート(…だったかな)。



お店の三輪トラック。




ぶらぶらと街を歩いて、夕方に早めの晩ごはん。
わたしはクレープとピザの中間のようなオランダのパンケーキ、玉ねぎとマッシュルームとチーズのパンネンクーケン。
(後日、先生の奥さまも作ってもらったのだけれど、もう病み付き!)
シゲルさんはローストチキンのクラブサンドイッチ。



カフェのテラス席で、歩き疲れた身体と頭を休ませる。
だけど。落ち着きのないわたしは、すぐにかわいい人を見つけては、シゲルさんに「ほら。あの人、めちゃ美人!」とか言っていた。
空を見上げれば、さっき上って来た新教会の鐘楼が見える。




デルフトの街を出る時。お父さんは、こうしてわたしが旦那さんとオランダへやって来て、ウィルヘルミナ女王が眠る教会を参ったことを知ることはないんやなぁ…と思ったら、やっぱり泣けてきて泣けてきて仕方がなかった。
シゲルさんはそんなわたしに困った様子も見せず、頭に軽く触れながら「帰ろうか」と言う。
今日も。わたし達は、あたたかな家へと帰ることが出来る。