現在。

昨夜。シゲルさんが、昔付き合っていた男の子と全く同じ話をした。
同じ本の、同じ件を、同じことをしながら、話していた。
わたしはビックリした後、すぐに泣きたいような笑いが出た。
「さすがやね。ミナちゃんの好みは一貫してるなぁ…」
ホームベーカリーから香るパンの匂いには少し飽き飽きしていて、にんじんサラダの歯触りはいつも微妙。久しぶりに買って料理した牛肉には胸焼けをして、気がつくといつもひとりぼっち。
梅雨入りは、なんだか肌寒い。
「想い」に甘えて学ぶことをせず、「魔法」に頼り過ぎて目の前を受け入れられず。
夢は、いつもいつも内を向いている。
外は、物凄く遠い。
くだらない。
わたしは、本当にくだらない。

昨年。

シゲルさんのご実家から嬉しい春のお届けもの(第二弾!)。
お義父さんが釣った沢山の小アジ、シビのお刺身、鯛二匹。
新玉ねぎ、きゅうり、スナップエンドウ、さやいんげん、カリフラワー。これらはお義父さんとお義母さんが手塩にかけて育てた野菜たち。
干物とお義母さんが乾物にしてくれたえんどう豆と切り干し大根も入っていた。
鯛は白ごはん.comのレシピで鯛めしにし、沢山の小アジは唐揚げ、シビのお刺身は漬け丼に。
新玉ねぎは甘酢漬けにして保存食にし、きゅうりも浅漬け、スナップエンドウとさやいんげんはさっと茹でて彩りに大活躍。普段、スーパーマーケットでは高くてなかなか手が出ないカリフラワーは、殊更に丁重にいただいた。
なんだかちょっと贅沢過ぎて、もぐもぐする度に申し訳なさと有難さも味に変わっていく。
見つめ合うー 視線のレーザービームでぇ〜
エキゾチック ジャパン!ジャパン!
この春は、なんだか台所に立てることがとても嬉しい。

昨年。

家の門を出たところで子亀を見つけた。
「いったいどっから来たんや…」と暫く眺めた後、シゲルさんが池まで戻してやることに。
「今夜あたり竜宮城に呼ばれるかな」
と言ったので、「わからんで。どっか行きたいとこあって、今頃「なにしてくれてんねん」とか思ってるかも…」と返す。
なんていうか…春は、不思議。

昨年。

国立国際美術館アンドレアス・グルスキー展。
2005年。東京国立近代美術館で観た『ドイツ写真の現在−かわりゆく「現実」と向かいあうために』は、これまでに観て来た展覧会の中でも格段に素晴らしかった。
学生の頃に舐めるようにして何度も何度も写真集を捲ったグルスキーの作品を、実際に目の当たりにすることが出来て身震いが起こるくらいに大興奮。もう泣いちゃうくらいの感動だった。
それから九年。
今回観ることの出来たグルスキーの近作は、よりコンセプチュアルなものになっていて、プリントは更に大型化され、それはとても見応えのあるものだったように思う。
でも。なぜだかはわからないのだけれど、昔に感じていたような気持ちは湧き上がらず、わたしは会場の中でどこか置いてきぼりにでもあったような気がしていた。
過去がぷつりと音を立てて途切れてしまったような…そんな感覚をぼんやりと抱く。
家に帰り着き、展覧会の図録をパラパラと捲りながら、過ぎていった時間を思った。
2005年の日記。
「家にいる午後。
フジファブリックを聴く。
カーテンを全開にして部屋の中に太陽の熱をため込む。
日記をサボった日を思い出しながら書く。
ボールペンから出来た光のプリズムに心をときめかす。
日記を書くのに飽きて寝転がる。
おやつを食べる。
明治屋のカラーマシュマロのパッケージを眺める。
好きな小説の好きな箇所を声に出して読む。
机の上を綺麗に片付ける。
以前の日記を読み返す。
太陽の角度を確認する。
歌詞カードを見ながら忠実に歌う(いつもは適当)。
足先が冷えてきて靴下を履く。
キシリトールのガムを3粒噛む。
明日の予定をメモ帳に書き出してみる。
次の展示会の事を考える。
ベランダからミッキー(黒柴)を探す。
ミッキーに相手をしてもらえず、ベランダから見える家の屋根の中で一番好きな色の屋根を探す。
地図帳を旅する。
郵便受けを見に行く。
ハンドソープで手を丁寧に洗ってにおいを嗅ぐ。
眺めているだけで幸せになる本を眺める。
洗濯物をたたんでたんすにしまう。
音楽を消して外の音に耳をすます。
恋人と次に会う時の事を想像する。
その時に言いたい言葉を考える(けど、きっと言えない)。
早く会いたくなる。」

昨年。

午前中もそもそ家事をしていると、大家さんがやって来て、本日の昼食会に誘っていただく。
手ぶらで行くのもなんなので、せっせとショボいおかず二品を作って、大家さんと仲良しのご近所さんのお宅までお邪魔した。
ここで旅のことを色々とお話出来たらよかったのだけれど(それもあって誘ってくださったのだと思う)、圧倒的な口下手が見事な勝利を収め、スマートフォンの小さな画面で氷河の写真を一枚だけ見せて、もじもじと「こんな所へ行って来たんです…」と言って終了。
後は美味しいごはんを前に、食べることに精を出していた。ごめんなさい。。。
それでも。お二方がこれまでに世界中を旅されたお話が面白く(ご近所には本当にアクティブな方達が多い!)、改めてここへ引っ越して来られたことのご縁と感謝も一緒に味わうことの出来た昼食会。
帰り際に出会ったまた別のご近所の方からレモンバームをいただき、生葉をそのままハーブティーにしていただく。
さわやかに、ふわりと新しい目標が立ち上がった四月。

昨年。

夫婦ともども尊敬している作家さんが参加されているグループ展へ。
細部にまで注意を払って描かれたモノクロームの作品には、圧倒的な静寂が張り詰めているのに、いつもどこかにざわつきを感じる。
仕事にかけられた時間よりも際立つ、作品そのものの迫力。
また驚くほどに滑らかなモノクロームの色調には、暗室でプリント作業をしていた時のような興奮が蘇る。
描き切るところと描かないところとのバランスが絶妙でありながらも、それらはあまり重要ではないのだということ。それは、無意識と意識とがリンクしていることと同じなのかもしれない。
毎日毎日、何年も描いていくということ。
わたしは自分が何者であるかもわからないけれど、いや…何者でもないのだけれど、そういった真摯な作品を大切に観続けていきたいと感じた。
三人展である今回の展覧会は、どの方も堅実な仕事をされていて、贅沢で見応えのある展示(ちょっと偉そう…)。
ギャラリーを出てから真っ直ぐに南下して、いつもの画材屋まで歩いて行くことにする。
途中、素敵なカフェで休憩しようと提案するものの「ミナちゃん、ほらメニュー見て」と表に出ていた看板を指差され、「ね。オシャレ価格付いてるでしょ?」と言われ、却下。
次にチェーン店のコーヒーショップを見つけたら入ろうね…とか言いながら、結局どこへも寄らずに画材屋へ辿り着いた。
シゲルさん、画材屋に入ったら長いからな…。はぁ。
ギャラリーを廻り、画材屋へ寄って、15キロほど歩いて帰宅。
今日、あるギャラリーで気になった作品があって、壁に貼られていた作家の略歴を見てみたら「90年代生まれ」の文字。なんだかわからないけれど、漠然と「そうか…」と思った。
わたしは今いったい何を積み重ねて生きているのだろうな。

昨年。


三人で寺へ出かける。
はじめて訪れた寺は想像していたよりもこじんまりとしていて、苔の印象が色濃く残る。
本堂は暗く冷んやりとしていて、赤ん坊は一生懸命に何かを見つめていた。
花々が多ければ楽しみも多かっただろうけれど、見事に咲いていたであろう木蓮もさっぱりと散髪され、それを眺めていたわたし達に庭師のおじさんは「(咲いている内は)綺麗やけども、たった三日もすればおしまいよ」などと言う。
花も終わり、これから勢いを見せ始める葉々の形は、なんだかドンキーコングのバナナのようだな。ドンキーコング、よくは知らないけれど…。
まるで旅行にでも出かけたような気分を味わい、家まで帰り着き、えみちゃんにオランダで満江先生の奥さまから教わったパンネンクーケンをごちそうする。
その後。シゲルさんが仕事から帰宅して、目一杯の愛想を振りまくもてっちんは見事にギャン泣き。
どうしてしまったんや…
この間、お風呂を借りに行った時には、あんなにも打ち解けていたやないか。。。



こちらがオランダのパンケーキ、パンネンクーケン(Pannenkoek)。
先日、満江先生ご一家が泊まりに来て下さった時にお土産でいただいた、本場のパンネンクーケンのシロップと粉砂糖でいただきます。
黒蜜に似た風味のシロップは、ベーコンとチーズとの相性が抜群で、ものの見事に「甘じょっぱい」の虜に。。。
(写真のパンネンクーケンはプレーンで焼いたもの)
【Pannenkoek】
・小麦粉 130g
・牛乳 260ml
・卵 1個
・ベーキングパウダー 小さじ1/4
上記の材料を混ぜ合わせ、バターでベーコンやチーズなどをのせて薄く焼く。



奥さまが手作りされたエルダーフラワーの花の蜜のジュレは、朝ごはんのトーストのおともに。
オランダでも朝ごはんの時にいただいていたのですが、さわやかな香りと優しい甘さが口の中に広がって、シゲルさんとふたりだけの食卓であっても満江家での朝を思い出すことが出来ます。
大きな窓のある、素敵なお台所。コーヒーの香り。いとおしい犬。みんなの声。



こちらも満江先生ご一家からいただいた、肉厚な生わかめ。
シャキシャキの新玉ねぎを添えて、おかかとポン酢でさっぱりといただきました。
沢山の美味しいお土産、本当にありがとうございます。
嗚呼…自宅の台所でのびのびと料理が出来る喜び…。涙